革命について

 2022年1月1日

 

革命について


 革命、あるいはレボリューションという言葉から、連想するキーワードは人そ れぞれでしょうが、わたしは、まず社会機構の近代化へ契機となった市民革命であ るところのフランス革命を思い浮かべ、そして、ビートルズの楽曲を想起するとこ ろです。(作られた頃の時代背景、ベトナム戦争

 

Revolution/The Beatles

(和訳)

革命が必要だと君は言う
まぁ、そりゃあね
みんな世界を変えたいと思ってるよ

革命は進化なんだと君は言う
まぁ、そりゃあね
みんな世界を変えたいと思ってるよ

 

だけど破壊してでもやろうと言うなら
僕は仲間に入れないで

 

わからない? 世の中は
大丈夫
大丈夫
上手くいくさ

 

現実的な方法があると君は言う
へぇ、そうかい
是非その計画を知りたいね

寄付金をくれだって?
へぇ、そうかい
出来ることをやっていこうか

 

でも、憎しみで動いている奴らの為に、お金を集めているなら
一言言わせてくれよ、なぁ兄弟、ちょっと待ちな

 

わからない? 世の中は
大丈夫
大丈夫
上手くいくさ

 

社会の構造を変えてやると君は言う
へぇ、そうかい
自分の頭から変えてみなよ

 

それが社会の為になると君は言う
へぇ、そうかい
自分の心を自由にしてやりなよ

 

でも毛沢東の写真なんか持ち歩いてるようじゃ
どのみち上手くいかないさ

 

わからない? 世の中は
大丈夫
大丈夫
上手くいくさ


 

 仮想世界としたこの三次元あるいは時間プラスの四次元において、わたしたち は、おぼつかない五感を頼りにした肉体をもち、キャラクターを自ら演じているよ うなものだと思っています。ドラマや映画のなかで俳優達が、其の世界を舞台ある キャラクターをリアルな人物を演じているような感じで、わたしはこの肉体をもっ て、五感があることで、自分の人生を選択して生きているような感じ・・・・とい うか、設定された劇場というわたしの人生の舞台で、わたしというキャラクターを 其の存在が真実の世界だと信じ込んで、演じているといった具合にです。
 人類がこの三次元世界をリアルな世界のすべてととらえている間は、過去、現 在、未来をベクトルとする、歴史という時間軸をもつという風に思うんですが、そ うした時間軸のなかで、大きくは人類全体の、または国家全体の、あるいは家族全 体の、または個人の歴史を自ら奏でていると思って生きているんだと思っていま す。そうした中での個人とは、自分を信じて可能性を生きる、とかいう言い方にも つながっているわけですよね、、。
 その流れの中においては、進化とか、進歩とか、発展とか、そうしたキーワー ドもまた人間の知性、観念のなかに浮上するわけで、それが、自身の行動原理につ ながっていくという流れができあがると通常は思っています。
 それが、文明といった経済、社会、文化、テクノロジーでもなんでもあてはめ てみてもよいのですが、そうした人間の営みの範疇において、『革命』というキー ワードにスポットをあてて、今回は、大まかな流れにはなりますが、お話してみた いと思います。

  革命は、一般的な意味合いとしては、権力体制や組織構造の抜本的な社会変革 あるいは、技術革新などが、比較的短期間に行われること、とあります。
注:英語のレボリューションは、ラテン語の「回転する」という意味を語源と し、古くは天体の回転運動(コペルニクスの地動説の論文のタイトル)を示す言葉 として使われていたという。
 今日は、冒頭の連想キーワードであげた人類史上、1789年に勃発した有名なフ ランス革命をおおまかにひも解いてみて、そこから、革命とは何かという終着点、持論を見いだしていきたいと思います。
 フランス革命は、教科書的に言えば、アンシャンレジームという旧制度に対して、当時のフランス という國にある社会システムに対する問題点、ブルボン絶対王政に対して、市民の 不満が発端になり起こっていったと言われています。
 フランス革命前夜の社会の身分制というのは、まあ、身分という言い方は本来 欧米的な価値意識に基づいていると思いますが、ここでは便宜上、使うことをご理 解いただきまして、お話をすすめていきます。
 実際に、特権的な身分として、聖職者と貴族は第一、第二身分でした。
 かれらは、納税の義務から免れていたという、明らかに優遇された状態でいる ことができたわけです。
 また、第三身分としての平民は、農民と市民というわけですが、この平民と呼ばれるひとたちは、全体の98%という圧倒的な数であり、この 平民である市民、農民もさらに富裕層、中産階級、下層階級と分割されています。
 富裕層は、地主や大商人で、中産階級は金持ちではないが、暮らしに困るほど の貧しい暮らしではない、イメージとしては謂わば、一般的な人達、昭和の時代の日本でいうところ の中流に似たような層ということでしょうか。。
 下層というのは、小作人や汚いとされる危険な仕事をする労働者という位置づ けのようです。
 この三層で成り立っている平民たちが、納税の義務を課せられていたわけです ね。

  当時はヨーロッパ内に起きる戦争などで、財政は逼迫しており、有名なルイ1 6世、マーリーアントワネットの王家が統治する時代です。
 特権階級だけが、優遇されて、最も貧しい平民は、暮らしもままならないの に、大変な暮らしのなかで、減税されることはなく、税金も治めなければならな い、、、こうした不平等な状況にいて、まったく愚痴不満が出ないほうが、普通の 人間としては不自然な気がします。
 当時はテュルゴーやネッケルと言った人たちが、財政改革を促したり、特権階 級の免税を廃止しようとしたり、いくつか試行錯誤がみられるなか、かつての三部 会という市民に不利な制度が復活して、そうした流れの中、下級聖職者であるシェ イエスという人が、特権身分を批判したりしました。注:『第三身分とは何か』
 そうして、三部会を抜けた第三身分の市民の代表が、1789年には国民議会を開催するに至ります。第三身分議員の自分たちこそが、国民を代表しているというわ けですね。『球戯場の誓い』というものがおこります。
 注:王国の憲法が制定され、強固な基盤の上に確率されるまでは、国民議会は 解散しないということを誓い合った、議場を閉め出されたために、ベルサイユ宮殿 の球戯上に場を移して行われた出来事のようです。
  啓蒙思想が普及されはじめていくそのあたりから、のちにフランス革命と呼 ばれるものが富裕層を中心とした平民の間からスタートします。
  革命が急進化し、国王のいない共和主義への動きが高まり、バスティーユ牢獄の襲撃という動きに発展しました。1789年7月のことですね。
 バスティーユ牢獄を襲った理由は、当時、そこに政治犯が囚われていたり、ま た武器弾薬がたくさん保管されており、それを奪取するための目的だったようで す。
 封建的特権が廃止されるよう、思想的に、働きかけたのは、ラ・ファイエット という人で、『人権宣言』なるものを打ち出した貴族で、人間は生まれながらにし て自由であり平等な存在であると説いたわけですが、その一方で、この人は、地主 という立場から小作人の土地代で生計をたてていたため、土地代は払ってもらうこ とで、農民をけん制してはいるようです。結局は、貴族根性は抜けないということなんでしょうかね、、。


 そして、価格高騰により、パンを買えなくなった平民である婦人たちの有名な ベルサイユ行進が起こり、結果として、国王たちはパリへ連行されたため、身の安 全を確保するために、王家のひとたちは、マリーアントワネットの実家のあるオー ストリアのヴァレンヌへの逃亡を企てて、それが失敗に終わった事で、ピルニッツ 宣言に至ります。その後は、立憲王政派とか、国王不要論者の穏健的な共和制派と かが台頭していくわけですが、のちの時代きっての英雄、ナポレオン・ボナパルト が歴史の表舞台に登場するまでは、まだまだゴタゴタは続くわけですが、ヴァル ミーの戦いなどそうした中、1792年から95年に、初の男性の普通選挙が行わ れます。この頃、急進的な共和派のジャコバン党の台頭で、ルイ16世はギロチン 台に消えるわけですね。また、徴兵制というのも、この頃に実施されたようです が、これに反発して農民の反乱などが起きています。
 それで、5人の総裁による政府ができたりして、まだまだ混乱状態が続いてい たなかで、こののちに、時代の要請を受けたともいうべき英雄ナポレオンがフラン ス革命を終結すべく、一陣の風のように現れたというわけですね。当時フランスの 民衆は、イタリア遠征やエジプト遠征のナポレオンの快進撃に、狂熱し、ある意味 では、フランス統一的なナショナリズムの高まりのなかで、一喜一憂したことだと 思いますね、、。
 

 クラシックの有名な大家であるベートーベンは、革命家として時代の寵児で あったナポレオンと同時代人で、彼より一歳年下のようです。ナポレオンの初期の 人民のためにある皇帝としての姿には、理想の姿を一瞬、みいだしたかもしれない ですが、やはり人間というのは、完全な絶対権力をいったん握ってしまうと、権力 に溺れ、執着し、その後は簡単に堕落してしまうものなのかもしれないですね、、。
 絶対王政が倒れていき、そこから近代的な意味で、革命家の先導により民衆の 力が革命という現象のなかで、その時代の体制を変えていく形が生み出されて行っ たわけですが、、大体において、近代にあっての政治的な革命というものは、民主 化への道を切り開いていったわけですが、その市民革命というものも、結局は、資 本家というブルジョワが得をしていく流れができてくるわけですよね。
  貨幣をつくり出した時点で、人間というものは、そのお金というものに絶対の価値をおき、自己中心的に、拝金主義であったり、たくさんのお金があることで己の過剰な欲望を叶えようとしてみたり、結果的には、自分さえよければ、社会機 構がどうあろうが関係無しという、つまり利己的な人間が蔓延り、支配の道具とし てそのお金があればあるほど、有力で強力な権力をもつ、お金が牛耳る世の中を生 み出してしまうようです。 
 

余談ですが、日本には『武士は食わねど高楊枝』という言葉がありますね、

 これは、江戸時代の武士の見栄といったシニカルな見方ではなく、貧しくても 気品高くいることを大切にした価値観だという話しもあります。ここには、お金が すべてではない美徳を知る日本人の姿が浮き彫りになっているようにも感じます ね。

 強調しておきたいですが、現代の政治家たちには見習ってほしいものであり ます。


 こうやって、近代的な社会システムの流れ、現代の我々の生きる資本主義社 会、または民主制の基盤をつくったとも言われるようなフランス革命をひも解いて みましたが、思想的には、自由、平等、博愛の精神を主流にして、絶対王政を打倒 した先の社会はユートピアは現出したのでしょうか?

 それは皆さんがご承知のよう に、貨幣に支配される人間社会では、ますますその拝金主義の価値意識へと洗脳さ れていくことになりました。そこには物質社会における弱肉強食の論理、人を踏み つけても経済利益最優先、大量生産、大量消費社会が正当化されています。
 たんに、お金をいくら稼げるかによって、其の人間の価値があがるといったよ うな風潮さえ、見いだされますが、そもそも最低限生活していけるお金がある上 で、その余剰なお金は、何のために得るのでしょうか。
  江戸時代までの日本人の庶民の感覚には、餅は餅屋、裕福すぎるお金持ちに
は、羨望の眼差しを向けるよりは、どこか、よそよそしい感覚を持っていたような気がするのは、わたしだけでしょうか、、。日本語に、「清貧」という言葉があるのは、なんでだろうと、ことあるごとに感じていましたね、、。
 そうした感覚が忘れ去られた現代の日本人自身、結局のところ、真の幸福を得 ることはなく、日が没する国へ、衰退への道を我知らずとも自ら選んでしまってい るかのようです、、、。

 果たして、余剰な大金持ちになってただたんに利己的な欲 望を追求した果てに、自らの真の幸福、真の自由が手に入るのでしょうか、、、?

 いずれにしても、革命というものが、イデアや既成概念のもとに成り立ち、貨 幣価値を基準にした不平等が原因として、そこから個人の欲望や野心をエネルギー 源とするこの世的な世界観に根ざした上での市民革命というものであるのなら、そ れは、まったく本質的なものではないように、わたしには感じられるんですね。
 

 ここから、今回のテーマの着地点を見いだして行きますが、、
本質的に、『革命』というものをこの三次元世界で自ら起こすとしたら、ある いは、自らのキャラクターに革命というキーワードをセットしたいのであれば、や はり、『精神』という場のなかにおいて、革命がなされてはじめて、それにともな う現象という蜃気楼を生み出し、この世的な『自分』というキャラクターの行動原 理や推進力になるのではないかという気がしています。
 あらゆる固定概念を疑ってみて、自我を解体する方向へ向かうのだとしたら、 それは、『自己変革』という個々の精神においての革命であるような気がします。
 そこから、不確定な未来に向けて、とらえどころのない今この瞬間、あっとい う間に過ぎ去って行くわたしの一瞬一瞬の行動は、真我との合一を目指して、パラレルに其の先へ移って行く だと思うのですが。。
 

 考えてみたら、お釈迦様もイエス様も、彼らの生きていた世の中にあっては、 一種の精神の革命家でもあったと思うわけです。バラモン教ユダヤ教やその他の 哲学、思想家たちとは一線を画して、真理を探究し、真理を体現し、真理を教えて くれた偉大な、あらゆる存在のなかの大いなる教師であるわけですよね。
 そうして、大いなる何か、または真我とは、一体どういう状態のものなの か、、、。何をさしているのか。
 それは、自分というキャラクターが、この三次元世界の真理の探究の学びのプ ロセスのなかで、孤独な営みにはなりますが、いずれはおのずと導きだされる答え であるように思えます。
 その答えをいつかこの三次元世界という場において、体得?するときが待ち遠しいですし、その試みをするのが所謂 人生における正義、幸せ、安楽なように思えます。
 またそうした人々が増える事で、おのずと生きとし生けるものにとっても平和 な世界が実現していくようにも思えます。

  革命とは?についての持論をまとめます。
 

 それは、有史以来、 (注:有史とは、文字が成立し、文献資料によって、歴史事象を検証することが可能な時代を指す) のお金のシステムが絶対の価値という幻想から放たれ、三次元的な人間の自我
という知性、観念の牢獄から脱出、解放され、、不確定な原理の働く三次元といわ れる場において、真我を発見するために、必要な自らの精神を回転させる契機とな る重要な働きがである。

 革命は精神でこそ、起こされる必要性があり、その革命を自ら起 こさないことには、真理の探究という場に進む事は出来ない気がします。
 ちなみに、便宜上、お釈迦様も仏法のことを法輪と呼びましたね。回転する真 理の車輪のなかに終わりも始まりも内包され、この世的なあらゆるイデアを駆逐、 粉砕することを願うとともに、自らの革命を起こしたいと。。。そうして他との 瑞々しい触発の連鎖が起きる事をささやかながらに希望して。。ようやくこの幕を 閉じることにいたします。

補足:

題材としたフランス革命、、その他南北戦争アヘン戦争、二つの世界大戦、、、

われわれの日本人の直に関係するところでは、明治維新にまつわる争い、大東亜戦争、歴史に残る大きな争いの裏では、秘密結社が絡んでいたり、世界を支配する特権階級が糸を引いていたりするという陰謀論的な話もまことしやかに流されています。

どこまでが、明らかに検証可能な真実かは、一般庶民のわたしたちには、知る由もないですが、そこで大切なことは、現在のような情報化社会のシステムの中に生きていて、自身の霊性を高めることで、真実を見抜く眼を養うことなんじゃないかと感じています。

嘘くさいものに、翻弄され、自身にとって誤ったパラレルワールドに移行することは、わたしは極力、避けていきたいと希望するものです。。