思考のヒント 〜グルジェフの言葉、引用 『失望』

人はあらかじめ失望していなければならない。第一に自分につまり自分の力に関して、第二に自分がもう知っている道の全てに関して、失望していなければならない。

 

自分がこれまでにしてきたことやこれまでの探究の結果に失望していない人は、この教えが提供しうるもっとも貴重なものを察せられない。

 

科学者なら、科学に失望していなければならない。

宗教的な人なら、自分の宗教に失望していなければならない。

政治家なら、政治に失望していなければならない。

哲学者なら、哲学に失望していなければならない。

神智学協会員奈良、神智学に失望していなければならない。

オカルチストなら、オカルトに失望していなければならない。

他の人たちも同様に、自分のしてきたことに失望していなければならない。

だが、これがどう言うことなのか、あなた方は理解しなければならない。

例えば、宗教的な人は、宗教に失望しなければならないと私は言う。信仰を失うべきであると言っているのではない。そうではなくて、自分の知っている宗教は自分にとって満足のいくものではないという点で、それは自分を何処にも導かないことを知り、その教理と手段に対してのみ失望するということを言っている。

野蛮人の全くもって、堕落した宗教や最近の模造的な宗教や宗派はもちろん問題外だが、それらを除いた宗教にはみな、二つの部分、よく知られた部分と知られざる部分がある。

宗教に失望する必要があるというのは、このうちよく知られた部分について失望し、宗教の知られざる部分、秘められた部分を探る必要性を感じる必要があるということだ。

 

 

お金はなんのためにあるのか〜デジタル超管理社会へレッツラゴーゴー?

一昔前、ABBA という有名な男女混合の歌い手グループがいましたが、彼らのヒット作の中に、『money money money』

という曲があった。

 

以下

対訳

 

Money Money Money

 

一日中せっせと働いても、まだ払い終わらないの
悲しいでしょ
そして私の手元には小銭すら残っちゃいないわ
あんまりじゃない
夢の中で、私は計画を立ててるの
もし金持ちのボンボンを捕まえられたら
まったく働きもせず、食っちゃ寝して、ダラダラと過ごすのにね
 
マネー、マネー、マネー
さぞ楽しいでしょうね
金持ちの世界は
マネー、マネー、マネー
太陽のように明るいの
金持ちの世界は
アハ、アハーーー
何でも出来そうなのに
もし少しでもお金があったら
金持ちの気分が味わえるでしょう
 
そんな男は捕まえにくく、愚かにも私はまだ諦めきれないわ
馬鹿らしいでしょ
もし彼がフリーだとしても、私の事構っちゃくれないでしょうね
あんまりじゃない
だから私は旅立つの
ラスベガスかモナコへと
そこで馬鹿勝ちして、新しい私に生まれ変わるのよ
 
マネー、マネー、マネー
さぞ楽しいでしょうね
金持ちの世界は
マネー、マネー、マネー
太陽のように明るいの
金持ちの世界は
アハ、アハーーー
何でも出来そうなのに
もし少しでもお金があったら
金持ちの気分が味わえるでしょう
 
マネー、マネー、マネー
さぞ楽しいでしょうね
金持ちの世界は
マネー、マネー、マネー
太陽のように明るいの
金持ちの世界は
アハ、アハーーー
何でも出来そうなのに
もし少しでもお金があったら
金持ちの気分が味わえるでしょう
 
それが金持ちの世界なの
 
〜〜〜
 
民放のなんかの番組にも使われたりしていたので、洋楽に疎い人でも、このフレーズは聞いたことがあると思う。
 
私は、この曲を耳にすると、何か、醒めたような、呆れたような、そんな
気持ちになったのを憶えている。
 
歌詞は、金持ちに対しての皮肉めいたことではあると思うが、、、マネーを3回強調するフレーズが、耳につきすぎて、その強調ぶりが、インパクトがあるせいかもしれない。
 
今、世の中は、極端にいうと、分断、二極化していて、政府やマスコミの誘導に、なんの疑いも持たずに信じ込んで、思考停止したかのように、選択、行動してしまっている羊民と呼ばれてしまうような同調圧力に弱い方々と、疑問に感じたら、自ら調べていって、簡単には洗脳されないような自分軸のある方々。
 
その二極化である。
 
三極化、という話もあるが、それは主旨から逸れるので、またいつかの機会におくとして、。
 
マネー。
 
個人的には、お金自体を忌み嫌うわけではないが、お金が全てとは絶対に思わないし、お金で買えない何かはあると思っている。
 
そういうと、一般的には、精神論者として、青臭い理想主義者のように、小馬鹿にされる向きもあるが、私は、どうレッテルを貼られようが、ほとんど気にはならない。
尤も、私個人的には、ミニマリストではまるでないし、、お金を趣味的なものに投じるような物欲的な側面はある方だと思う。
 
ただ、世の中の人々が、あまりにも、お金に翻弄される生き方をしているのを、眺め見て、、疑問に感じてしまうのは隠せない。
 
例えば、将来の老後のために、必要以上にあくせく働いて、今を台無しに生きている人がいたりするのを見ると、ついつい、この先、この国の年金制度があてにはならないということがあるにしても、だからと言って、自力で老後の備えに、くたびれ果てるまでストレス抱え込んでヒーハー生きるって、、、どうしたもんだろうと思うのだ。
 
大体、お金に必要以上に執着する人々の中で、顕著な傾向が見られるのは、その生い立ちに関係が深い場合もあるようだ。
 
お金に苦労した環境。
 
人間的情の上では、わからないとは言わないが、でも、お金に苦労したけど、だからといってお金に執着しない人々も、少数派かもしれないが、存在はする。
 
個人的な話になるが、私の育った家庭では、劇的な経済の悪化、という環境を体験しているし、ビンボー生活も結構、経験しているが、、、、若い時はなおさらだったが、私の場合、お金がない不安よりも、対人関係でのいざこざによる不安の方が、大きかった気がする、、。
 
話が横道に逸れそうなので、元に戻すが、
お金があることで、最低限の暮らしはもちろん成り立ち、お金が増えることで、いろんな意味で余裕ができ、欲しいものもたくさん手に入るような生活にはなる。
 
例えば、私が、政治的な話をしたり、形而上学的な話題を持つと、身内であれ、大概の人間は、こう言って、ある意味、馬鹿にしたような言動をとる。
 
「あなたは、子供もいないし、生活にまだ余裕があるから、そういう話に興味が出るんだよ、我々は、生きるのに精一杯だから。」
 
高尚な話題をしている人間は、普通とは違う、変わり者という烙印を押されるのが関の山らしい。
 
お金で資本主義社会を牛耳って、各国の政府の上に立ち、支配コントロールする人間のある種の狡賢さというのは、
そうした一般大衆の心理をよくわかっていて、洗脳の技に長けている、という点。
 
貨幣システムの信用創造などの、仕組みの説明は、ご存知の方も多いのでここでは、省きますが、、、、
彼らお金で支配する人間たちは、お金の隷属状態を作ることで、彼らの利己的野心や目的を達成し、尚且つ莫大な収益も図るという魂胆が、世の中のさまざまな事象に意図的に存在する、、ということが、羊民は、その憶測もしなければ、全くもって、その意図を読めていない、、、。
 
そう、我々庶民は、皆、お金の誘惑にさらされ、資本主義の競争原理に煽られて、個人の野心や不安を掻き立てられ、、、、名声やお金の収得に躍起にさせられ、盲目状態に置かれている。
 
ことに圧倒的多数の羊民自身は、、、
自分が真実を明かされず、いろんなツールで洗脳されられていて、自分で選択して生きているつもりが、、実はまやかしの一生を送ることになっている、、、、とは露ほども思わないだろう。
 
彼らは、自分の生き方に何にも疑問を感じないで、
お金の誘惑を誘惑とも感じないし、
お金があればあるだけ、幸せになれるという、、、
精神面でも物質面でも両面の表面的な自由自在さに、まったく魅了されてしまっているからだ、、。
 
 
 
続く。

 
マーラの攻撃😆
 
 
 
 

革命について

 2022年1月1日

 

革命について


 革命、あるいはレボリューションという言葉から、連想するキーワードは人そ れぞれでしょうが、わたしは、まず社会機構の近代化へ契機となった市民革命であ るところのフランス革命を思い浮かべ、そして、ビートルズの楽曲を想起するとこ ろです。(作られた頃の時代背景、ベトナム戦争

 

Revolution/The Beatles

(和訳)

革命が必要だと君は言う
まぁ、そりゃあね
みんな世界を変えたいと思ってるよ

革命は進化なんだと君は言う
まぁ、そりゃあね
みんな世界を変えたいと思ってるよ

 

だけど破壊してでもやろうと言うなら
僕は仲間に入れないで

 

わからない? 世の中は
大丈夫
大丈夫
上手くいくさ

 

現実的な方法があると君は言う
へぇ、そうかい
是非その計画を知りたいね

寄付金をくれだって?
へぇ、そうかい
出来ることをやっていこうか

 

でも、憎しみで動いている奴らの為に、お金を集めているなら
一言言わせてくれよ、なぁ兄弟、ちょっと待ちな

 

わからない? 世の中は
大丈夫
大丈夫
上手くいくさ

 

社会の構造を変えてやると君は言う
へぇ、そうかい
自分の頭から変えてみなよ

 

それが社会の為になると君は言う
へぇ、そうかい
自分の心を自由にしてやりなよ

 

でも毛沢東の写真なんか持ち歩いてるようじゃ
どのみち上手くいかないさ

 

わからない? 世の中は
大丈夫
大丈夫
上手くいくさ


 

 仮想世界としたこの三次元あるいは時間プラスの四次元において、わたしたち は、おぼつかない五感を頼りにした肉体をもち、キャラクターを自ら演じているよ うなものだと思っています。ドラマや映画のなかで俳優達が、其の世界を舞台ある キャラクターをリアルな人物を演じているような感じで、わたしはこの肉体をもっ て、五感があることで、自分の人生を選択して生きているような感じ・・・・とい うか、設定された劇場というわたしの人生の舞台で、わたしというキャラクターを 其の存在が真実の世界だと信じ込んで、演じているといった具合にです。
 人類がこの三次元世界をリアルな世界のすべてととらえている間は、過去、現 在、未来をベクトルとする、歴史という時間軸をもつという風に思うんですが、そ うした時間軸のなかで、大きくは人類全体の、または国家全体の、あるいは家族全 体の、または個人の歴史を自ら奏でていると思って生きているんだと思っていま す。そうした中での個人とは、自分を信じて可能性を生きる、とかいう言い方にも つながっているわけですよね、、。
 その流れの中においては、進化とか、進歩とか、発展とか、そうしたキーワー ドもまた人間の知性、観念のなかに浮上するわけで、それが、自身の行動原理につ ながっていくという流れができあがると通常は思っています。
 それが、文明といった経済、社会、文化、テクノロジーでもなんでもあてはめ てみてもよいのですが、そうした人間の営みの範疇において、『革命』というキー ワードにスポットをあてて、今回は、大まかな流れにはなりますが、お話してみた いと思います。

  革命は、一般的な意味合いとしては、権力体制や組織構造の抜本的な社会変革 あるいは、技術革新などが、比較的短期間に行われること、とあります。
注:英語のレボリューションは、ラテン語の「回転する」という意味を語源と し、古くは天体の回転運動(コペルニクスの地動説の論文のタイトル)を示す言葉 として使われていたという。
 今日は、冒頭の連想キーワードであげた人類史上、1789年に勃発した有名なフ ランス革命をおおまかにひも解いてみて、そこから、革命とは何かという終着点、持論を見いだしていきたいと思います。
 フランス革命は、教科書的に言えば、アンシャンレジームという旧制度に対して、当時のフランス という國にある社会システムに対する問題点、ブルボン絶対王政に対して、市民の 不満が発端になり起こっていったと言われています。
 フランス革命前夜の社会の身分制というのは、まあ、身分という言い方は本来 欧米的な価値意識に基づいていると思いますが、ここでは便宜上、使うことをご理 解いただきまして、お話をすすめていきます。
 実際に、特権的な身分として、聖職者と貴族は第一、第二身分でした。
 かれらは、納税の義務から免れていたという、明らかに優遇された状態でいる ことができたわけです。
 また、第三身分としての平民は、農民と市民というわけですが、この平民と呼ばれるひとたちは、全体の98%という圧倒的な数であり、この 平民である市民、農民もさらに富裕層、中産階級、下層階級と分割されています。
 富裕層は、地主や大商人で、中産階級は金持ちではないが、暮らしに困るほど の貧しい暮らしではない、イメージとしては謂わば、一般的な人達、昭和の時代の日本でいうところ の中流に似たような層ということでしょうか。。
 下層というのは、小作人や汚いとされる危険な仕事をする労働者という位置づ けのようです。
 この三層で成り立っている平民たちが、納税の義務を課せられていたわけです ね。

  当時はヨーロッパ内に起きる戦争などで、財政は逼迫しており、有名なルイ1 6世、マーリーアントワネットの王家が統治する時代です。
 特権階級だけが、優遇されて、最も貧しい平民は、暮らしもままならないの に、大変な暮らしのなかで、減税されることはなく、税金も治めなければならな い、、、こうした不平等な状況にいて、まったく愚痴不満が出ないほうが、普通の 人間としては不自然な気がします。
 当時はテュルゴーやネッケルと言った人たちが、財政改革を促したり、特権階 級の免税を廃止しようとしたり、いくつか試行錯誤がみられるなか、かつての三部 会という市民に不利な制度が復活して、そうした流れの中、下級聖職者であるシェ イエスという人が、特権身分を批判したりしました。注:『第三身分とは何か』
 そうして、三部会を抜けた第三身分の市民の代表が、1789年には国民議会を開催するに至ります。第三身分議員の自分たちこそが、国民を代表しているというわ けですね。『球戯場の誓い』というものがおこります。
 注:王国の憲法が制定され、強固な基盤の上に確率されるまでは、国民議会は 解散しないということを誓い合った、議場を閉め出されたために、ベルサイユ宮殿 の球戯上に場を移して行われた出来事のようです。
  啓蒙思想が普及されはじめていくそのあたりから、のちにフランス革命と呼 ばれるものが富裕層を中心とした平民の間からスタートします。
  革命が急進化し、国王のいない共和主義への動きが高まり、バスティーユ牢獄の襲撃という動きに発展しました。1789年7月のことですね。
 バスティーユ牢獄を襲った理由は、当時、そこに政治犯が囚われていたり、ま た武器弾薬がたくさん保管されており、それを奪取するための目的だったようで す。
 封建的特権が廃止されるよう、思想的に、働きかけたのは、ラ・ファイエット という人で、『人権宣言』なるものを打ち出した貴族で、人間は生まれながらにし て自由であり平等な存在であると説いたわけですが、その一方で、この人は、地主 という立場から小作人の土地代で生計をたてていたため、土地代は払ってもらうこ とで、農民をけん制してはいるようです。結局は、貴族根性は抜けないということなんでしょうかね、、。


 そして、価格高騰により、パンを買えなくなった平民である婦人たちの有名な ベルサイユ行進が起こり、結果として、国王たちはパリへ連行されたため、身の安 全を確保するために、王家のひとたちは、マリーアントワネットの実家のあるオー ストリアのヴァレンヌへの逃亡を企てて、それが失敗に終わった事で、ピルニッツ 宣言に至ります。その後は、立憲王政派とか、国王不要論者の穏健的な共和制派と かが台頭していくわけですが、のちの時代きっての英雄、ナポレオン・ボナパルト が歴史の表舞台に登場するまでは、まだまだゴタゴタは続くわけですが、ヴァル ミーの戦いなどそうした中、1792年から95年に、初の男性の普通選挙が行わ れます。この頃、急進的な共和派のジャコバン党の台頭で、ルイ16世はギロチン 台に消えるわけですね。また、徴兵制というのも、この頃に実施されたようです が、これに反発して農民の反乱などが起きています。
 それで、5人の総裁による政府ができたりして、まだまだ混乱状態が続いてい たなかで、こののちに、時代の要請を受けたともいうべき英雄ナポレオンがフラン ス革命を終結すべく、一陣の風のように現れたというわけですね。当時フランスの 民衆は、イタリア遠征やエジプト遠征のナポレオンの快進撃に、狂熱し、ある意味 では、フランス統一的なナショナリズムの高まりのなかで、一喜一憂したことだと 思いますね、、。
 

 クラシックの有名な大家であるベートーベンは、革命家として時代の寵児で あったナポレオンと同時代人で、彼より一歳年下のようです。ナポレオンの初期の 人民のためにある皇帝としての姿には、理想の姿を一瞬、みいだしたかもしれない ですが、やはり人間というのは、完全な絶対権力をいったん握ってしまうと、権力 に溺れ、執着し、その後は簡単に堕落してしまうものなのかもしれないですね、、。
 絶対王政が倒れていき、そこから近代的な意味で、革命家の先導により民衆の 力が革命という現象のなかで、その時代の体制を変えていく形が生み出されて行っ たわけですが、、大体において、近代にあっての政治的な革命というものは、民主 化への道を切り開いていったわけですが、その市民革命というものも、結局は、資 本家というブルジョワが得をしていく流れができてくるわけですよね。
  貨幣をつくり出した時点で、人間というものは、そのお金というものに絶対の価値をおき、自己中心的に、拝金主義であったり、たくさんのお金があることで己の過剰な欲望を叶えようとしてみたり、結果的には、自分さえよければ、社会機 構がどうあろうが関係無しという、つまり利己的な人間が蔓延り、支配の道具とし てそのお金があればあるほど、有力で強力な権力をもつ、お金が牛耳る世の中を生 み出してしまうようです。 
 

余談ですが、日本には『武士は食わねど高楊枝』という言葉がありますね、

 これは、江戸時代の武士の見栄といったシニカルな見方ではなく、貧しくても 気品高くいることを大切にした価値観だという話しもあります。ここには、お金が すべてではない美徳を知る日本人の姿が浮き彫りになっているようにも感じます ね。

 強調しておきたいですが、現代の政治家たちには見習ってほしいものであり ます。


 こうやって、近代的な社会システムの流れ、現代の我々の生きる資本主義社 会、または民主制の基盤をつくったとも言われるようなフランス革命をひも解いて みましたが、思想的には、自由、平等、博愛の精神を主流にして、絶対王政を打倒 した先の社会はユートピアは現出したのでしょうか?

 それは皆さんがご承知のよう に、貨幣に支配される人間社会では、ますますその拝金主義の価値意識へと洗脳さ れていくことになりました。そこには物質社会における弱肉強食の論理、人を踏み つけても経済利益最優先、大量生産、大量消費社会が正当化されています。
 たんに、お金をいくら稼げるかによって、其の人間の価値があがるといったよ うな風潮さえ、見いだされますが、そもそも最低限生活していけるお金がある上 で、その余剰なお金は、何のために得るのでしょうか。
  江戸時代までの日本人の庶民の感覚には、餅は餅屋、裕福すぎるお金持ちに
は、羨望の眼差しを向けるよりは、どこか、よそよそしい感覚を持っていたような気がするのは、わたしだけでしょうか、、。日本語に、「清貧」という言葉があるのは、なんでだろうと、ことあるごとに感じていましたね、、。
 そうした感覚が忘れ去られた現代の日本人自身、結局のところ、真の幸福を得 ることはなく、日が没する国へ、衰退への道を我知らずとも自ら選んでしまってい るかのようです、、、。

 果たして、余剰な大金持ちになってただたんに利己的な欲 望を追求した果てに、自らの真の幸福、真の自由が手に入るのでしょうか、、、?

 いずれにしても、革命というものが、イデアや既成概念のもとに成り立ち、貨 幣価値を基準にした不平等が原因として、そこから個人の欲望や野心をエネルギー 源とするこの世的な世界観に根ざした上での市民革命というものであるのなら、そ れは、まったく本質的なものではないように、わたしには感じられるんですね。
 

 ここから、今回のテーマの着地点を見いだして行きますが、、
本質的に、『革命』というものをこの三次元世界で自ら起こすとしたら、ある いは、自らのキャラクターに革命というキーワードをセットしたいのであれば、や はり、『精神』という場のなかにおいて、革命がなされてはじめて、それにともな う現象という蜃気楼を生み出し、この世的な『自分』というキャラクターの行動原 理や推進力になるのではないかという気がしています。
 あらゆる固定概念を疑ってみて、自我を解体する方向へ向かうのだとしたら、 それは、『自己変革』という個々の精神においての革命であるような気がします。
 そこから、不確定な未来に向けて、とらえどころのない今この瞬間、あっとい う間に過ぎ去って行くわたしの一瞬一瞬の行動は、真我との合一を目指して、パラレルに其の先へ移って行く だと思うのですが。。
 

 考えてみたら、お釈迦様もイエス様も、彼らの生きていた世の中にあっては、 一種の精神の革命家でもあったと思うわけです。バラモン教ユダヤ教やその他の 哲学、思想家たちとは一線を画して、真理を探究し、真理を体現し、真理を教えて くれた偉大な、あらゆる存在のなかの大いなる教師であるわけですよね。
 そうして、大いなる何か、または真我とは、一体どういう状態のものなの か、、、。何をさしているのか。
 それは、自分というキャラクターが、この三次元世界の真理の探究の学びのプ ロセスのなかで、孤独な営みにはなりますが、いずれはおのずと導きだされる答え であるように思えます。
 その答えをいつかこの三次元世界という場において、体得?するときが待ち遠しいですし、その試みをするのが所謂 人生における正義、幸せ、安楽なように思えます。
 またそうした人々が増える事で、おのずと生きとし生けるものにとっても平和 な世界が実現していくようにも思えます。

  革命とは?についての持論をまとめます。
 

 それは、有史以来、 (注:有史とは、文字が成立し、文献資料によって、歴史事象を検証することが可能な時代を指す) のお金のシステムが絶対の価値という幻想から放たれ、三次元的な人間の自我
という知性、観念の牢獄から脱出、解放され、、不確定な原理の働く三次元といわ れる場において、真我を発見するために、必要な自らの精神を回転させる契機とな る重要な働きがである。

 革命は精神でこそ、起こされる必要性があり、その革命を自ら起 こさないことには、真理の探究という場に進む事は出来ない気がします。
 ちなみに、便宜上、お釈迦様も仏法のことを法輪と呼びましたね。回転する真 理の車輪のなかに終わりも始まりも内包され、この世的なあらゆるイデアを駆逐、 粉砕することを願うとともに、自らの革命を起こしたいと。。。そうして他との 瑞々しい触発の連鎖が起きる事をささやかながらに希望して。。ようやくこの幕を 閉じることにいたします。

補足:

題材としたフランス革命、、その他南北戦争アヘン戦争、二つの世界大戦、、、

われわれの日本人の直に関係するところでは、明治維新にまつわる争い、大東亜戦争、歴史に残る大きな争いの裏では、秘密結社が絡んでいたり、世界を支配する特権階級が糸を引いていたりするという陰謀論的な話もまことしやかに流されています。

どこまでが、明らかに検証可能な真実かは、一般庶民のわたしたちには、知る由もないですが、そこで大切なことは、現在のような情報化社会のシステムの中に生きていて、自身の霊性を高めることで、真実を見抜く眼を養うことなんじゃないかと感じています。

嘘くさいものに、翻弄され、自身にとって誤ったパラレルワールドに移行することは、わたしは極力、避けていきたいと希望するものです。。

Daigoさんは、たんなる利己主義者?

Daigoさんは、たんなる利己主義者?       2021年 8月 

 

  世の中の時事ネタには、普段あまり興味が持てないのだが、この事例に関しては、少し違って いた。  もともと、今回問題発言をしたメンタリストの方にはまったく関心はなく、彼の動画自体もほ とんど観たことはなかったが、今回の問題発言の一端に、飼い主のいない猫(俗に言われるのら猫のこと)や自身の猫にまつわる発言が出 されていたということで、保護猫に関わる立場上、関心を持たざるを得ない心境になった。
   彼の問題発言のなかで、一番非難を浴びている点として、ホームレス、生活保護を受けている人 達の存在価値に差別的に言及した点にあると思っている。  猫の存在とホームレスや生活保護受給者を比べる事自体が、ナンセンスなのだが、一番の問題 点は、彼のようにインフルエンサーとして、世間に一定の影響力を持つ立場の人が、もともと自 分は非常識な人間という自己の言い訳では通用しないことの無自覚さ、故に、世の中に対立を招 きかねない悪影響を与える恐れがある立場という自己の危機意識が欠落している点。
 
 DAIGOさんに直接聞いてみたい事柄、気づいた二点をあげてみたい。
 

 その1

 世の中で一種の不満や不公平感の発露として、まことしやかに囁かれている、生活保護 の不正受給者に関して、それがどの程度の信憑性、ファクターを持って、批判、抗議的な発信に至っ たのか、、。ホームレスの方や生活保護受給者の方々をひとくくりに発言することは、間違ってい ることだという認識があるのかどうか。
 

 その2

 記憶に新しい事件として、2020年3月に岐阜で起こったホームレスの高齢者が大学生 数人にリンチされたあげく殺された殺害事件はご存知なのかということ。  その高齢者の方は、ご自分自身がホームレスという明日はどうなるかわからないような境遇に 身を置きながらも、数匹の飼い主のいない猫の世話を必死でされていて、その猫たちを虐待者たちから守 るために、結局はご自身の命をまで奪われることになってしまった経緯、事実をご存知かどう か。

 この2点を質問してみたいところだが、 2のホームレス殺人事件に関して、少しだけ感想として、触れておくと、 世間的にみたら社会的な弱者として認識されやすいホームレスさんだからこそ、人間の身勝手な 都合によって、捨てられ、繁殖した結果故、不憫な飼い主のいない猫たちに対する慈愛の念が感じられ、 ご自身の立場上、誰よりも身を以てわかっていらしたように、わたしには感じられたので、殺人 者たちの愉快犯的なこの殺人事件には、生命の営みとしての道理もわかっていないんじゃないか と、虚しい気持ちがよぎった。

  愉快犯にあるのは、自我から噴出する究極的な快楽のみであり、他の存在を貶めても、後ろめ たさ、疚しさも虐めたり殺めることに罪悪感も感じないこころであり、そこには道徳心のかけら もない。  一方のホームレスさんには、他の生命を重んじるまっとうな道徳心が歴然とある。しかも普段 野球をやっていた体力のみなぎるスポーツ青年たちに襲われた際に、そのホームレスさんは、一 緒にいた同じ年代の婦人を庇って先に逃がすという自己犠牲的な行動もとっている。

  土壇場にきて、自分の命をかけて、他を尊重できる人間がどれほどいるのかどうか、、、。そこには、おそらく、動機として自我からの執着心ではなく、普遍的な意味で利他の精神しかなかったように思える。
 わたし自身としては、あらゆる不幸で身勝手な殺害事件の根底に巣食っているのは、自我の肥 大化した世の中の権力的な支配構造や力のアンバランス、アンモラルな対立の暗澹とした思いに かられ、世界、生命、万物、いや宇宙のほんとうの真理とは何か・・・?という問いかけが一層 深くなってくる。
   アンモラルな発言に傾いたDAIGOさんに欠けているのは、実のところは、そうした真理への探 究心であるように感じてしまう。  メンタリストというだけあって、精神分析的、あるいは心理学的な見地から、知性的に人間存 在にフォーカスしている立場、つまりは科学の立場を取って、これまでの発言に信憑性を持たせ ているに過ぎないので、、そうしたところから偏った問題発言をしてしまうことで、DAIGO さんというのは、理性的な人というよりは、感情論に走りやすい人のような印象すら受けてしま う。  知性的に認識というレベルでは理解して開き直ることはあっても、おそらくは情緒的にはここ ろでは差別的なアンモラルな発言に対し、傷ついた人もいることがほんとうに悪いことだとは、 感じられていない可能性もある。精神と物質というものの定義自体が、もしかしたら、わたしと は噛み合ない可能性もあるけれど。  謝罪というのは、受け手がほんとうに納得できないことには、口で謝って済むなら警察は要ら ない式になってしまう。

  ギリシャ哲学者のソクラテス曰く、「無知の知」と表現しているくらいなのだから、飼い主のいない猫と自 分の飼い猫に対して発言されるのだったら、論理的には整合性を持たせ、道徳的には謙虚な姿勢 になられて、飼い主のいない猫を守りながらも社会的な弱者として命を奪われたホームレス殺人事件を詳し く調べられたりして、彼の言ってることがいかに浅い見識かということを、もう真摯に考えてみら れたらどうかなと思う。自我の肥大化による自己主張には、終局的には説得力は消えてしまうと いうことを。
 

 最後に、ホームレスさんのご冥福を祈ると共に、、daigoさんに向けて、イエスさまの発言を引用しようと思う。  

マルコの福音書から
金持ちの男 とやもめの献金


をどうぞ皆様も探して読んでみてくださいな。。

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お釈迦さまストーリー 基本編 其の六 (完)

 2021年11月24日
 

お釈迦様ストーリー 基本編 其の六

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   今回は、ようやく最終の章となり、涅槃に入っていく。
  一度はみたことがあるかもしれないお釈迦様の涅槃図、横たわるお釈迦様の周りに、たくさんの弟子達や在家の王族、神々が嘆き悲しむ様子がみられる。
 今生の別れとはいっても、やはり、無感情ではいられないわけで、この図をみ たときに、わたしは、キリスト教のお葬式の際に、天国でまた再会できるから、特 にプロテスタントたちは、皆笑顔で、別れの儀式に立ち会うというのを聞いて、す ごいなあと思った覚えがある。
 だから、涅槃図で弟子達が悲しみの情を露にしている図をみると、なんとなく 親近感や安心感が湧いてきたものだ。もちろん、菩薩達は、静かに見守っていたわ けだけれども。
いずれにしても、自然に湧き起こるのなら、、お別れに際し、寂しい思いを無 理に抑える事も無いのだなと。

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 冒頭から、余談になってしまったが、、さて、白象さんとともにいきましょう、 ということで。
 お釈迦様は、悟りを開かれてから、おおよそ50年間、説法活動で、いろいろ な場所を遊行されたりしていたわけだが、いよいよ死期を悟られたときに、アーナ ンダを伴い、最後の遊行に旅立たれた。、マガダ国のラージャグリハを皮切りに、 想い出の場所を辿る道のりでもあったという。

*注釈 

教典「マハーパリニッバーナ・スッタンタ」に詳しく最後の旅路 のことが史実として収録されている。意味としては、マハー=大いなる パリニッ バーナ=釈尊が完全に入滅される スッタンタ=教典 パーリ語のものがよくまと められているという。

   なお、遊行というのは、「経巡りいく」という意味で、「遊びに行く」ということではない。
 お釈迦様は、遊行の旅路につくまえに、王舎城霊鷲山におられた。その頃、 マガダ国には王様のアジャータサットゥという人がいて、ヴァイシャーリーに住ん でいた非常に裕福な部族、ヴァッジ族を征伐しようと企てていた。それで、使者を だし、お釈迦様に意見をおたずねしたいという事で、大臣、ヴァッサカーラを向か わせる。
 大臣がお釈迦様に丁寧に挨拶したあとに、ヴァッジ族を攻め滅ぼす考えがある ことに対しての意見を伺ったところ、お釈迦様は、いい、とも悪い、とも応えずに、 逆に、7つの質問をする。
 一つめ ヴァッジ人はしばしば会議を開き、会議には大勢の人が集まってくる かどうか?
 二つ目 ヴァッジ人は共同して集合し、共同して行動し、共同してヴァッジ人 としてなすべきことを処理するかどうか
 三つ目  ヴァッジ人はいまだ定められていないこと定めず、すでに定められ ていることを破らず、昔に定められたヴァッジ人の旧来の法に従って行動するかど うか?
 四つ目 ヴァッジ人はかれらのうちでの古老を敬い、喜び、あがめ、もてな し、そして、古老の言葉を聞くべきと思っているかどうか?
  五つ目 ヴァッジ人は一族の婦女、童女を暴力でもって連れ出し、捕らえ押し
とどめるようなことをしないかどうか?
 六つ目 ヴァッジ人は、都市の内外の霊場を敬い、尊び、あがめ、支持し、そ して以前に与えられ、以前になされた法にかなったかれらの供物を廃することがな いかどうか?
 七つ目 ヴァッジ人は、真人たちに正当な保護と防御と支持とを与えているか どうか。まだ来た事がない真人たちがそこにやってくるか、また既に来た真人たち は、領土の内に安らかに住まうことを願っているかどうか。
 

*注釈 真人とは、元は「アルハット」音を写して、阿羅漢、意味としては、 「敬われるべき人、あがめられるべき人、尊敬に値する人」という意味。

 お付きのアーナンダは、その全部に応えて、「其の通りです」というと、お釈 迦様は、「ヴァッジ人たちがこの七つを、守っている間は、かれらは繁栄し、衰え ることはないであろう」と言ったという。そう教えられて大臣ヴァッサカーラは、 「このうち一つを具えているだけでも、マガダ王はヴァッジ人に手をつけることは できないでしょう。いわんやすべてを具えているなら、なおさらです」と言って、 去っていったという。
 お釈迦様は、共和の精神と観念的な保守主義、当時のいかなる宗教をも承認す るという立場がみられると、仏教学者の中村先生は著書で解説されている。
 また、仏教の教化法も、相手の話した内容に対して、じわりじわると必要条件 を検討する、とあり、これは、独特な教化の仕方だと説明されている。
  否定も肯定もしない応じ方というのは、確かに知恵があり賢くないとできないやりかたのように思われる。また、いわれているように、相手に合わせて教化する、というのも、お釈迦様のすばらしいところのように感じられる。
 

 さて、具体的な旅路の様相をお話していくが、
一行が最初に訪れたのは、このときすでに故人であった舎利弗と目連の生地で あるナーランダー村を経由して、パータリ村に入った後、ガンジス川を渡って北を 目指し、ヴァッジ国へ向かわれた。
 ここのヴェールワ村を経て、商業都市のヴェーサーリー市にいたり、裕福な高 級娼婦で、市に対して経済的にも影響力のあったとされるお釈迦様の帰依者でも あったアンバパーリーの所有する林に招かれている。お釈迦様は、そこでしばし逗 留、説法して、厚い供養を受けたという。
 余談ですが、このアンバパーリーは、インドを代表する美女のように言われて いるそうだ。古代のインドでは、遊女でも社会的に地位があったそうで、お釈迦様 のす大変ばらしいところは人を身分や職業、地位、立場で、人を差別しなかったと いうところ、イエスさまも同様に、ユダヤの支配層からは蔑みの対象であった売春 婦に対しても、平等に接していらっしゃる。これは、やはり、解脱者の特徴でもあ るのだという気がする。何故かというと、地位のある人や権威のある人なんかで も、表向きな偽善はよくあるけれど、人々の内心のこころには、どこか優劣な意識 や偏見で他を扱ってしまう向きがあるような気がするので、結局、ほんとうにニュートラルで公平な境地になれるのは、仮想世界脱出マスターたちや、その予備 軍である菩薩たちしか、真になれないのかもしれない。

  *注釈 仮想世界脱出マスターに関する用語の意味あいについては
  Youtube『人間を超えたチャンネル』の小宮先生のお話をご参照ください。


 その後、一行は「竹林の村」という場所で雨季を過ごしていて、仏伝によると、 ここに滞在中に恐ろしい病が生じ、死ぬほどの激痛が走った、といわれている。
そうした中、お釈迦様がアーナンダに説いた素晴らしいお言葉があるので、引 用する。
「アーナンダよ。私はもう老い朽ち、齢を重ね老衰し、人生の旅路を通り過 ぎ、老齢に達して、我が齢は八十となった。たとえば、古ぼけた車が革ひもの助け によってやっと動いているようにわたしの身体も革ひもの助けによって長らえてい るのだ。・・・。この世で自らを島とし、自らをよりどころとし、他人をよりどこ ろとせず、法を島とし、法をよりどころとし、他のものをよりどころとせずにあ れ」
 

 この強い確信は、自分を自分たらしめる理法、ダルマに基づいているという自 覚があり、人間のあるべき道、すがたに従っているからこその確信ということのよ うだ。人が導くのではなく、真理、真実が人を導く、というわけで、ダルマ(法) が導くというその確信のうえのその自分を頼るということ、という理解で、わたし はいる。
 例えとして、島というのは、元の言葉で「ディーパ」中州などの洲という意味 で、インドの環境背景からの例えだが、支那や日本には、それが灯明というたとえ として定着したようだ。
  日本の仏教でいうところの「自己を灯明とせよ、法を灯明とせよ」というわけである。
 雨季が過ぎて、いよいよヴェーサーリーを去ったお釈迦様達は、ガンジス河を 渡り、生まれ故郷を目指すが、結局はそこには行けないままに、この世から旅立つ こととなる。

  パーヴァーというところで、チュンダというカーストで言えば低い身分の鍛治 職人の供養を受けるのだが、そのときの食べ物にあたって、そこから身体を壊して 体力を失い、衰弱しながらも、旅を続けたと教典にはある。
  *注釈 食事の内容はなんだったのかは、わかってはいないようだが、漢訳では
きのことか、スリランカでは、豚肉?猪?とか諸説あるようだ。


 お釈迦様は、チュンダの食事の供養で、身体を悪くされても、決してチュンダ を悪くいうことはなく、心遣いのある言葉をアーナンダに話しておられるようだ。 人徳というより、お釈迦様は真の思いやりのある性質の方だったような気もする。
 そうして、お釈迦様は、いよいよご臨終の地となるクシナーラーへと向かわれ る。描写には、道中のお釈迦様のお疲れの様子の詳細があるようだ。アーナンダは 最期まで、よくお釈迦様に仕えた立派な弟子だなとも思う。
 ヒラニヴァティーという河向こうの林に赴くと、お釈迦様はアーナンダに告げ る。「さあ、アーナンダよ。わたしのために、サーラ双樹の間に、頭を北に向けて 床を敷いてくれ。アーナンダよ。わたしは疲れた。横になりたい」
  北枕の意味は正確にはわからないそうですが、日本にはここから、北枕は縁起
が悪いとなっているようだ。
   お弟子たちに向かい、最後のお釈迦様の説法はこうだ。
「やめよ、アーナンダよ。悲しむなかれ、嘆くなかれ。アーナンダよ。私はか つてこのように説いたではないか。すべてのものは、愛するもの、好むものから別 れ、離れ、異なるにいたるということを。あらゆるものは、生じ、存在し、作られ、 破壊されるべきものであるのに、それが破壊しないということが、どうしてありえ ようか。アーナンダよ。長い間、おまえは、慈愛のある、人のためをはかる、安楽 な、純一なる、無量の、身と言葉と心との行為によって、向上し来れる人に仕えて くれた。アーナンダよ。おまえは善い事をしてくれた。つとめ励むことを行え。速 やかに汚れのないものとなるであろう」苦痛もあるだろうに、肉体的な死を迎える ときにさえ、お釈迦様は、相手を慰める、他者に即した言葉を言える、、これはほ んとうになかなかできないことではないだろうか。

  臨終の際にあたり、いろいろな人が訪ねてきたらしいが、ある修行者はお釈迦様に意地の 悪い質問をして、それに対し、お釈迦様はこうも話された。
「スバッダよ、わたしは29歳で善をもとめて出家した。わたしは出家してか ら、50年あまりとなった。正理と法の領域のみを歩んで来た。これ以外にありえ ない」
 お釈迦様は、そうして、やがて、入滅の時を迎えられた。 
 お釈迦様が亡くなった日は、正確にはわからないそうだが、日本では二月十五 日が涅槃会ということになっており、インドでは、その日は、入滅に限らず、お釈 迦様に関するあらゆることを祝うということだ。
 お釈迦様は人間として80年生きられたわけだが、それまで諸説あったなか で、クシナガラが永眠の地と何故わかったかというと、 1851年にこの地のス トゥーパ跡から、『涅槃寺』と刻印された銅板が発見されたことや、5世紀初頭に 建立と明記された涅槃像がヒラニヤヴァティー川の川底から見つかったことによ り、クシナガラだと証明されたという。
 この地も、遺跡公園として、お釈迦様の聖地とされていて、大涅槃寺に涅槃像 が安置されている。ここから、1kmほど東に進むと、ラーマーバル・ストゥーパ、お釈迦様が、荼毘に付せられたという荼毘塚がある。

 

 お釈迦様の生誕の地、ルンビニー、真理を悟ったブッダガヤー、初説法の地、サールナート、そして、永眠されたクシナガラ・・・、お釈迦様に帰依している方々 と同じように、いつかは訪れたい場所である。
 今回は、涅槃がラストということで、釈迦八相図を道案内にしながら、どうに か終えることができた。お釈迦様の歩まれた道を、おおまかではあるが、学ぶ事 で、お釈迦様が、アーナンダに向けて言われた励ましの言葉を胸に、わたしも学び を続けていきたい所存だ。
最後まで御視聴いただきまして、ありがとうございました。。。

 

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お釈迦さまストーリー 基本編 其の五

 2021年11月18日 


  お釈迦様 ストーリー其の五 ~転法輪、涅槃


  今回は、いよいよこのお釈迦様ストーリーは、転法輪と涅槃に入って行きたいが、もしかしたら、涅槃は次回になるかもしれない。
 

 お釈迦様は、菩提樹の下で、悟りを開かれた後、49日に渡り、その境地を深 めて、永遠の輪廻転生から解脱した喜びを独り、楽しまれたと言われている。悟っ たあとのお釈迦様は、揺るぎない確かな境涯となられたが、しかし、そのあまりの 深遠で、難解な境地をいかにして人々に伝えればよいのか前途を悲観され、そのま ま入滅しようと考えられた。その様子をみていたブラフマー梵天はすぐにお釈迦 様のもとに降り立ち、生ある限り、その真理を広めてもらえるように、入滅を思い とどまってもらえるように、懇願したのだという。お釈迦様も、広く人々を導くこ とが使命があるのだと思い直して、その座を立ち、説法活動に入られていった。
 お釈迦様が最初に真理を説こうと思い浮かべた相手は、かつてともにウル ヴェーラーの苦行林で修行をした5人の苦行者たちだった。(一説では、お釈迦さまの父王が、護衛につけた5人とも言われている)

 5人はベナレス郊外のサールナート、鹿野園にいて、お釈迦様が彼らの元を訪 ねると、「堕落した者は、去れ」と、お釈迦様の訪問を強く拒んだが、悟りを開い たあとのお釈迦様のもつただならぬ威容に圧倒された5人は、いつしか座を差し出 して、教えを乞うようになった。
この記念すべきお釈迦様の最初の説法を、初転法輪といって、仏教では、説法 のことを転法輪という。
 ちなみに、本筋から逸れるが、付け加えで話すと、このサールナート、鹿野園 は、お釈迦様の4大聖地のひとつに挙げられている。
サールナート、鹿野園は前3世紀から1500年の長きにわたり、仏教の教育 センター的な場所として栄えたが、13世紀くらいからイスラム勢力による破壊が 続き、土に埋もれた遺跡が発掘されたのは20世紀初頭であるという。サールナー トの象徴的な存在である、外壁レンガの一部に美しい幾何学模様や樹枝文様の彫刻 が残っているダーメク・ストゥーパは、6世紀頃の建立と言われている。 


   さて、話しを元に戻すと、、
  この最初にお釈迦様の説法を聞いた5人は、もともとある程度の境地に達した
修行者だったので、たちまちに、お釈迦様と同様の悟りに到達し、その場で帰依す
ることを誓っている。
 そうして、お釈迦様は、こののちに、50年もの長きにわたり、マガダ国の首 都であるラージャグリハ、王舎城の竹林精舎を拠点として、各地を遊行されて、多 くの弟子を育てた。
『釈迦八相図』には、その詳細は描かれてはいないが、仏伝によれば、お釈迦 様の名声はたちまちに広まり、千数百人もの弟子が集まったといわれている。
  ヤサという名の金持ちの子どもを出家させ、その4人の友人も出家修行者とな
る。のちにその友人50人も出家。
その伝導の旅のなかで、次第に集いというものを神聖視するようになり、仏、 法、僧の三宝が成立したという。「僧」というのは、元は集いや団体というほどの 意味のようで、サンガは僧の音を写したもの。仏教徒三宝に帰依するということ が最低の条件になっているのだとか。
  初期仏教では、「三帰五戒」と言われ、三宝に帰依することを「三帰」。「五
戒」とは、殺すなかれ、盗むなかれ、邪淫を行うなかれ、偽りを語るなかれ、酒を
飲むなかれ、の5つということ。一生を終えるまで、五戒を守るということ、これ
が、仏教徒の名目的にもベーシックなスタンス。
 お釈迦様の十大弟子の最初の弟子になったのは、当時のインドで文明の進んで いた王舎城にて、舎利弗と目連が教団にはいってきた。このふたりは、もともと、 懐疑論者のサンジャヤの弟子だったらしく、お釈迦様の弟子であったアッサジとい う人が王舎城のなかに、托鉢として入って来た際に、聞いた説教がもとで帰依する ようになったということ。そのとき説かれたのは、因縁の教えらしい。ちなみに、 懐疑論者のサンジャヤはどんなことを説いていたかというと、「あの世があるとか 世界は有限か無限か、というような解決できないことを議論しても無駄だ、考える のをやめてしまおう」といった感じのことらしい。判断中止というようなスタンス。現代人でも、こうした考えに偏る方も案外多いような気もする。
   舎利弗と目連がお釈迦様の門下に入ったとき、ふたりと同門であったサンジャヤの弟子250人が二人に従い、仏教に帰依したのだとか。
  このことは、懐疑論を乗り越えたということとみなすこともできると、仏教学者の中村元さんは著書のなかでかいている。以下引用すると


「ああでもない、こうでもないと、ぬらりくらりしていたのでは、すべての人を 説得しうる確信をもたせる教えとはなり得ない。そういう無駄な議論からは離れ て、真の生き方を求めるところに、釈尊のよりどころ、立場があったのだ」と。
  お経を読むと、お釈迦様は弟子1250人とともにありきという文句がよくでてくるそうだが、250人は先にあげた弟子たちで、のころ1000人は、カーシャパ三兄妹の弟子ということ。この三兄弟は、火をあがめるバラモンだったが、やはり、お釈迦様の教化を受けて、改宗したわけだ。
 このことはやはり、お釈迦様の教えが、バラモン教も乗り越えたことを示し、 当時あったそれらの自由思想をも、凌駕したところから、仏教は出発しているとい うことのようだ。
  ちなみに、機会があればまた伝えたいが、先にあげた二大弟子に続き、迦葉(かしょう)須菩提(しゅぼだい)富楼那(ふるな)迦旃延(かせんねん)阿那律(あなりつ)優婆離(うばり)羅睺羅(らごら)阿難陀(あなんだ)が十大弟子に入る。
 お釈迦様は、舎衛城(しゃえじょう)にも長く滞在されたりしていた。舎衛城は サーヴァッティーというようで、コーサラ国の首都。その郊外に小高い丘があり、 そこが祇園と呼ばれる場所。
祇園」の由来は、舎衛城のジェータ太子の所有で、漢訳では「祇陀(ぎだ)太子」 そこを当時の長者であったスダッタという人がお釈迦様に寄進したいと思い、土地 を買ったというエピソードが残されている。その情景は現在カルカッタの博物館に 彫刻としてあるようだ。
「精舎」というのは、精進するための家、修行の家の事を指す。

  これで、教団の拠点ができ、祇園精舎があることで、岩窟の中とか、樹の下に 住み、雨季には信者の家に泊まらせてもらっていた修行者たちの生活の場ができた ということになる。
このことは当時のインド経済の状況をも示唆されていて、土地の売買が行われ ていたということで、貨幣経済が発展しつつあり、民間に王権と張り合うだけの経 済力をもった資産家が現れていたということ。仏教は、四民平等を唱えていたの で、商人階級に受け入れられるのにも適していたという事情もあるようだ。

   また、お釈迦様は、アングリマーラという盗賊まで、帰依させたという伝説もあるようで、伝道にまつわるいろいろなエピソードをもとに、お釈迦様ゆかりの場所を旅することは、今生の功徳になるのかもしれない。

  予想したとおり、涅槃にはたどりつけなかったので、次回に機会を得たいと思う。
  ご覧いただきありがとうございました。。

お釈迦さまストーリー 基本編 其の四

 2021年11月7日 お釈迦様ストーリー 基本編 その四


出家その後 と降魔成道


  今回は、お釈迦様の出家後の動向と、いよいよ起承転結にあたる転の部分に入って行きたいと思う。
  お釈迦様は修行の道に入って行かれたが、南方仏教の伝説によると、出家後七 日目に、当時最大の国であったマガタ国の首都、王舎城に赴いたと言われている。 当時の都市は城郭になっており、城壁で取り囲まれており、外敵の侵略を考慮し、 そういう作りになっていた。 仏典のなかにある「城」といっても、日本の意味の城 とは違いがあり、大陸の人々の暮らしと日本民族とはやはり異なっていたようだ。
お釈迦様が王舎城に行って歩いていたら、ビンビサーラという当時の王様に見 つかった、『スッタニパータ』には、「目覚めた人ブッダはマガダ国の首都、山に 取り囲まれた王舎城に行った」と記述されている。当時は国どうしの争いも絶えな かったため、インド全体が統一されるまでは、防衛のため、そうした作りになって いたようだ。お釈迦様は托鉢のために赴いたところ、マガダ国のビンビサーラ王 は、高殿のうえに進み出て彼を見たとあるので、インドでは屋根が平らでその上か らあちこちを眺められたそう。
ビンビサーラ王はお釈迦さまを、発見すると、高貴な様子の聖者に興味惹か れ、すぐさま使者を派遣し、托鉢をしているお釈迦様の後をつけさせてみると、お 釈迦様は、都市を出て、王舎城の周囲にある5つの山のひとつにあるパンダヴァ 山、霊鷲山の山窟の中に住んだという。ビンビサーラ王は、使者の報告を受けて、 お釈迦様に会いに赴いたそうで、当時の習俗としては、聖者から話を聴く場合は呼 びつける事は王であってもしなかったそう。お釈迦様はそのときに、ビンビサーラ 王と初対面の挨拶を交わしたあと、ビンビサーラ王の軍事、経済援助を申し出を 断っている。

 ビンビサーラ王が「あなたは若くて青春に富み、これから人生の始まる若者で す。容姿も端麗で、生まれも尊いクシャトリヤ(王族)のようだ。像の群れを戦闘 とする精鋭の軍隊を整えてそこでも、わたしはあなたに財を与えよう。それを享受 しなさい。」
ところがお釈迦様は「王よ、私は釈迦族の身から出家したのです。欲望をかな えるためではありません。諸々の欲望は患いのあることをみて、また出離は安穏で あるとみて、努め励むために進みました。わたしの心はこれを楽しんでいるので す。」
当時マガタ国とコーサラ国はガンジス川中流で対立しており、マガタ族と釈 迦族とで、コーサラを挟み討ちにしようという提案だったわけだが、お釈迦様は拒 否して、その後は幾人かの聖者を訪ねる。
まずはガンジス川ガンダギ東岸の都、ヴァイシャーリーに数百人の弟子を持つ アーラーマ・カーラーマを訪ね、のちに700人の弟子を持つウッダカ・ラーマプッ タを訪ねる。
二人の仙人はともに出家修道者で、瞑想にふけり、平安な境地を目指してい た。しかし、この二人の説を聞き、その境地に達したが、満足できなかったお釈迦 さまは、自分で修行することにして、それが苦行の道につながったようだ。
その後南に下り、ヒンドゥーの主神ブラフマー(梵天)の聖地、ガヤーに入る と、かつてウッダカ仙人のもとでともに学んだ5人の修行者と再会し、ウルヴェー ラーの苦行林に入ると、6、7年ともいわれる過酷な苦行を続けた。
  苦行の姿のお釈迦様像をみたら、それがいかに常規を逸した苦行かは想像がつく。
 それでも、「聖なる洞察」が得られない事を知ったお釈迦様は苦行にも快楽に も偏らない道を模索し始める。
  苦行を捨てたお釈迦様は、苦行林を出てナイランジャナー河で身を清めると、この土地の長者の末娘である村娘スジャータの差し出した乳粥の供養を受ける。
 それを見た5人の修行仲間は、お釈迦様を「堕落した」と見放し、ベナレス郊 外のサールナート(鹿野園)へと去って行く。

 お釈迦様は、最初、悟りをひらくための禅定に入る場所を、プラークボーディ 山(前正覚山)の岩窟に求められたが、十分な聖所とは言えなかったようで、次に 苦行林に近いブッダガヤーの大樹の下に定められた。ガヤーという所は、元々、ヒ ンドゥー教の霊場だそうだ。お釈迦様が悟りを開かれた後は、ガヤーの前にブッダ を名づけられたそう。
ナイランジャナー河で、身を浄められ、通行人の農民から、付近に群生するし なやかな青草、クシャ草(吉祥草)を分けてもらい、のちに菩提樹と呼ばれる無花 果の一種であるとされるアシヴァッタ樹の根元に、敷き詰めると、禅定に入られ た。 これは仏伝によると、「吉祥献草」というエピソードらしい。また、「アタ ルヴァ・ヴェーダ」によると、古来からインドではこの木を尊崇されていて、「神々 の住まいであって、不死をみるところである」といわれ、ウパニシャッドなどの聖 典では、不思議な霊樹といわれているのだそう。一度は行きたい場所である。
そうした信仰もある場所だったため、この木を選んで瞑想に入られたと言われ ており、そこで悟りを開かれたので、「菩提樹」という。「菩提」というのはサン スクリット語で、「ボーディ」悟り、の意味だそう。
  「悟りを開くまでは、たとえこの身が滅びようとも、決してこの座を立たない」と決意したお釈迦様は、東の方角を向いて、深い瞑想に入られた。

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 最古の伝承「スッタ・ニパータ」には、このときに魔王の軍団が現れて嵐を起 こし、魔王の三人の娘、愛執(タンハー)愛念(アラチ)愛楽(ラーガ)を差し向 けて、誘惑もあったという。
  このことを「降魔」と呼ぶ。仏典にはいろんな降魔の伝説があるようだ。
 悪魔のことを元の言葉で「マーラ」というそうで意味としては「殺すもの」精 神的なことも含めての意味らしい。お釈迦さまは、ネーランジャー河のほとりで修 行されており、そこでも悪魔に対して、お釈迦さまはひるむことはまったくない。 悪魔に向かって言われたことで、印象深い部分を抜粋、引用する。「汝の第一の軍 隊は欲望であり、第二は嫌悪、第三は飢渇であり、第四は妄執であると言われる。 汝の第五の軍隊はもの憂さ、睡眠であり、第六は恐怖、第七は疑惑であり、第八の 軍隊は見せかけと強情である。誤って得られた利得と名声と尊敬と名誉と、また自分を誉め称えて他人を軽蔑することとは、これらは汝の軍隊である。黒き魔の攻撃軍である」
 悪魔の妨害を退けたお釈迦様は、禅定に入られて7日目についに悟りを開く。 ときにお釈迦様、35歳。一説によると、その成道の日は12月8日のことだった と言われているようだが、今の太陽暦の12月8日ではないだろうと推測されてい る。ここで、お釈迦様が悟られたことは一体どういうことだったのか?という大命 題が起きてくるわけですが、これは仏典によっていわれていることがいろいろある ようだ。12因縁により真理を悟ったとか、過去生を見通したとかが後に体系化さ れているようだが、仏教学者の中村元先生による見解が、私個人的には、納得のい く意見だ。
 それは、本来仏教徒そのものが特定の教義をもっていないのだから、お釈迦様 自身、自分の悟りの内容を形式化して説くことを欲しなかったので、最もドグマか ら遠い教えではないかとされている。お釈迦様もイエス様も、教祖、ではない、と いうことを示唆されていると、わたしは理解する。

  でも、具体的にどういうことをお釈迦様は悟られたのか?ということが知りたい!と何故か非常な関心が身のうちに起こる方は、どうぞこちらのyoutube動画配信チャンネル「人間を超えた人のためのチャンネル」に飛んでほしいと思う。

 

 何故、我々の意識が、存在とは一体なんであろうか?とかこの世界の存在のし くみや万物の創世される宇宙とは一体、どういうメカニズムで成り立っているの か?といった真理への探求心が起こってくる方にも、おすすめだ。
というわけで、今回は出家後のお釈迦様の動きと、降魔成道に関してのお話を、ざっとまとめてみ た。 ご覧下さった希少な方がたは、きっと、お釈迦様やイエス様を混沌とした時 代、でたらめな私利私欲の聖者のようなリーダーも不在の社会のなかで、清らかな 希望の光としてその胸のなかに静かに輝き続けている方々だと思われる。まさに、 あなたのなかに、泥の中の美しい蓮の花が咲いているのだ。
 

たまたま観てくださった方も、もしかすると、この邂逅は偶然ではないのかも しれない。。なんてな余韻を残しつつ、次回また読んでくださることを願い、その 仏縁の広がりを祈願し、今回はしめさせてもらう。