お金はなんのためにあるのか〜デジタル超管理社会へレッツラゴーゴー?

一昔前、ABBA という有名な男女混合の歌い手グループがいましたが、彼らのヒット作の中に、『money money money』

という曲があった。

 

以下

対訳

 

Money Money Money

 

一日中せっせと働いても、まだ払い終わらないの
悲しいでしょ
そして私の手元には小銭すら残っちゃいないわ
あんまりじゃない
夢の中で、私は計画を立ててるの
もし金持ちのボンボンを捕まえられたら
まったく働きもせず、食っちゃ寝して、ダラダラと過ごすのにね
 
マネー、マネー、マネー
さぞ楽しいでしょうね
金持ちの世界は
マネー、マネー、マネー
太陽のように明るいの
金持ちの世界は
アハ、アハーーー
何でも出来そうなのに
もし少しでもお金があったら
金持ちの気分が味わえるでしょう
 
そんな男は捕まえにくく、愚かにも私はまだ諦めきれないわ
馬鹿らしいでしょ
もし彼がフリーだとしても、私の事構っちゃくれないでしょうね
あんまりじゃない
だから私は旅立つの
ラスベガスかモナコへと
そこで馬鹿勝ちして、新しい私に生まれ変わるのよ
 
マネー、マネー、マネー
さぞ楽しいでしょうね
金持ちの世界は
マネー、マネー、マネー
太陽のように明るいの
金持ちの世界は
アハ、アハーーー
何でも出来そうなのに
もし少しでもお金があったら
金持ちの気分が味わえるでしょう
 
マネー、マネー、マネー
さぞ楽しいでしょうね
金持ちの世界は
マネー、マネー、マネー
太陽のように明るいの
金持ちの世界は
アハ、アハーーー
何でも出来そうなのに
もし少しでもお金があったら
金持ちの気分が味わえるでしょう
 
それが金持ちの世界なの
 
〜〜〜
 
民放のなんかの番組にも使われたりしていたので、洋楽に疎い人でも、このフレーズは聞いたことがあると思う。
 
私は、この曲を耳にすると、何か、醒めたような、呆れたような、そんな
気持ちになったのを憶えている。
 
歌詞は、金持ちに対しての皮肉めいたことではあると思うが、、、マネーを3回強調するフレーズが、耳につきすぎて、その強調ぶりが、インパクトがあるせいかもしれない。
 
今、世の中は、極端にいうと、分断、二極化していて、政府やマスコミの誘導に、なんの疑いも持たずに信じ込んで、思考停止したかのように、選択、行動してしまっている羊民と呼ばれてしまうような同調圧力に弱い方々と、疑問に感じたら、自ら調べていって、簡単には洗脳されないような自分軸のある方々。
 
その二極化である。
 
三極化、という話もあるが、それは主旨から逸れるので、またいつかの機会におくとして、。
 
マネー。
 
個人的には、お金自体を忌み嫌うわけではないが、お金が全てとは絶対に思わないし、お金で買えない何かはあると思っている。
 
そういうと、一般的には、精神論者として、青臭い理想主義者のように、小馬鹿にされる向きもあるが、私は、どうレッテルを貼られようが、ほとんど気にはならない。
尤も、私個人的には、ミニマリストではまるでないし、、お金を趣味的なものに投じるような物欲的な側面はある方だと思う。
 
ただ、世の中の人々が、あまりにも、お金に翻弄される生き方をしているのを、眺め見て、、疑問に感じてしまうのは隠せない。
 
例えば、将来の老後のために、必要以上にあくせく働いて、今を台無しに生きている人がいたりするのを見ると、ついつい、この先、この国の年金制度があてにはならないということがあるにしても、だからと言って、自力で老後の備えに、くたびれ果てるまでストレス抱え込んでヒーハー生きるって、、、どうしたもんだろうと思うのだ。
 
大体、お金に必要以上に執着する人々の中で、顕著な傾向が見られるのは、その生い立ちに関係が深い場合もあるようだ。
 
お金に苦労した環境。
 
人間的情の上では、わからないとは言わないが、でも、お金に苦労したけど、だからといってお金に執着しない人々も、少数派かもしれないが、存在はする。
 
個人的な話になるが、私の育った家庭では、劇的な経済の悪化、という環境を体験しているし、ビンボー生活も結構、経験しているが、、、、若い時はなおさらだったが、私の場合、お金がない不安よりも、対人関係でのいざこざによる不安の方が、大きかった気がする、、。
 
話が横道に逸れそうなので、元に戻すが、
お金があることで、最低限の暮らしはもちろん成り立ち、お金が増えることで、いろんな意味で余裕ができ、欲しいものもたくさん手に入るような生活にはなる。
 
例えば、私が、政治的な話をしたり、形而上学的な話題を持つと、身内であれ、大概の人間は、こう言って、ある意味、馬鹿にしたような言動をとる。
 
「あなたは、子供もいないし、生活にまだ余裕があるから、そういう話に興味が出るんだよ、我々は、生きるのに精一杯だから。」
 
高尚な話題をしている人間は、普通とは違う、変わり者という烙印を押されるのが関の山らしい。
 
お金で資本主義社会を牛耳って、各国の政府の上に立ち、支配コントロールする人間のある種の狡賢さというのは、
そうした一般大衆の心理をよくわかっていて、洗脳の技に長けている、という点。
 
貨幣システムの信用創造などの、仕組みの説明は、ご存知の方も多いのでここでは、省きますが、、、、
彼らお金で支配する人間たちは、お金の隷属状態を作ることで、彼らの利己的野心や目的を達成し、尚且つ莫大な収益も図るという魂胆が、世の中のさまざまな事象に意図的に存在する、、ということが、羊民は、その憶測もしなければ、全くもって、その意図を読めていない、、、。
 
そう、我々庶民は、皆、お金の誘惑にさらされ、資本主義の競争原理に煽られて、個人の野心や不安を掻き立てられ、、、、名声やお金の収得に躍起にさせられ、盲目状態に置かれている。
 
ことに圧倒的多数の羊民自身は、、、
自分が真実を明かされず、いろんなツールで洗脳されられていて、自分で選択して生きているつもりが、、実はまやかしの一生を送ることになっている、、、、とは露ほども思わないだろう。
 
彼らは、自分の生き方に何にも疑問を感じないで、
お金の誘惑を誘惑とも感じないし、
お金があればあるだけ、幸せになれるという、、、
精神面でも物質面でも両面の表面的な自由自在さに、まったく魅了されてしまっているからだ、、。
 
 
 
続く。

 
マーラの攻撃😆